2010/07/06

京都にて、祖母と再会

独立記念日の週末(つまり3、4、5)、京都と奈良へ行ってきた。

京都へ行ってきたのは、今年で97歳になる祖母へのお見舞い。
去年2度も脳卒中だか脳溢血で倒れ「もうダメだ」と言われたのに、ボケ入りまくりながらも生きているばーちゃん。

すごすぎ。

行ってきたら、本当にボケていて、そのボケ具合がまさに「ナイス、ボケ!」と何度もつっこんだくらい(笑)。

でも獅子丸に会って、かなりパワーをもらっていたと、連れて行ってくれ、普段祖母の面倒を見ている叔父といとこが言っていた。
上機嫌だったんだって。

ばーちゃんは、あの時代の人だからかなり苦労をしたようだけれど、いろんな国の人とおつきあいがあったようで、いわゆる「はいから」な人だったようだ。

25歳くらいのときに、シベリア鉄道に乗ってモスクワ経由でパリへの旅をしたとき坊主にしたけれど、一番喜んだのがばーちゃんだったらしい。

アメリカ人と、それもはっきりいってあまりいい感情を持たないであろう「黒人」と結婚したあたしを「ええやん、何が問題なん?」と言い切ったのも、ばーちゃんであった。

そんなばーちゃんだったけれど、獅子丸を見て「彼は将来、大丈夫なのか?」と言っていた。
きっと肌の色が、あたしたち日本人と違う、それも濃い、ということを心配したようだ。

「アメリカに住んでいるから大丈夫よ」
「え、アメリカに住んでいるの?」

と、あたしが誰だかなんて、もちろん覚えていない。

2年半前に会ったときは、すごく喜んでくれたのに。

記憶があっちに行ったり、こっちに行ったりするらしいね、ボケって。
自分が今会っている人が、自分とどういった関係があるのか、そのつながりを一生懸命確認しているんだけれど、シナプスのつながりが弱くなってしまったのか、切れてしまったのか、とにかくとんちんかん。

「この子は何歳や?」
「もうすぐ4歳だよ。おばーちゃんは?」
「25歳」

すごいサバ読みやわ〜。



はっきりいって、あたしは母方の祖母はあんまり好きじゃなかった。
おじーちゃんは発明家で面白かったけれど。

でもばーちゃん、160センチ弱のあたしよりも背が高く(168センチあったらしい)、いろいろ、本当にいろいろ苦労したようで、もっといろんな話を聞いておけばよかったと思う。

ボケて、病院から今の介護施設に入って、顔色が良くなり、なんだか穏やかになった。

もともと京都で長い時間を過ごし、伴侶を亡くしたときに長男(あたしの叔父)が当時住んでいた北九州へ引き取られ、生気力が落ちたばーちゃん。

ところが20年近く前に叔父さんが仕事の都合で京都に戻れることになり、一気に生気レベルがはね上がり、周りから「ありゃなかなか死なないぞ」と言われていたばーちゃん。

去年倒れたときに「まだ死にたくないいいいいいいいっ」と叫んだばーちゃん(当時96歳。もうええやん、と思うけれど、ばーちゃんのお姉さんが確か105歳だか6歳でまだ生きていらっさる)。

ここまで来たら、1世紀生きて下さい。
介護する人たちは大変だろうけれど。

ニューヨークに戻る前に、また祖母に会いたいな。

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