●甲子園
●広島、長崎の被爆
●8月15日の終戦記念日
的なことがあった。
でも月日は流れ、13年目の夏を久しぶりに日本で迎えたけれど、気がつけばそういったことは、押し入れの隅へと押し込んでいる。
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1995年の秋口、北京からシベリア鉄道に乗ってモスクワまで旅をしたとき、中国、ロシアの広大なる土地を見て「どうしてこんな広大なる土地に対して、大日本帝国は戦争をふっかけたのか」と思った。
そして今は、広島に原爆を落とし、8月15日、日本に対して敗北を受け入れさせる国に住んでいる。
彼らは常に「リメンバー・パールハーバー」と12月7日に叫び、翌日はジョン・レノンが殺害されたことに対して黙祷を捧げる。
彼らにとって、8月14日はとくに大切な日じゃないような気がする。
それよりもニューヨークに住んでいる人たちにとっては、これからやってくる9月11日のほうが、もっともっと、重要度合いを占めている。
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高校野球は見なくなった。
いつも12時になると、試合中であっても黙祷が捧げられてこの時間。
今年は獅子丸を叱っていた。
被爆に対するドキュメンタリー、終戦を迎えるに当たってのドキュメンタリー、そういったことを見たいと思っていたけれど、気がつけば何一つ見ちゃいやしない。
あたしが今回、記憶鮮明的になったことと言えば、日航機墜落事故が25年を迎えたということ。
あの日から25年。
高校1年生だった、あの夏。
ダッチロールという単語を初めて知って、そして誰も彼もがふざけながら使い初めてしまった言葉。
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月日は自分が思ったよりも早く流れている。
母国が世界で唯一の被爆国だから、とかいうのではなく、自分の両親を含め、その時に日本にいた人たちの言葉をちゃんと聞いて、そして一滴でも日本人の血が身体に流れているのであれば、伝えていくことって大切なんだろうな、と、ふと、漠然と思った。
なんて書きながら、なんて偽善者なんだーと思ったり。
だって、そんなこと、ツメのアカほども思ったりもしていないのに。
少しも考えなかった自分はなんて非国民。
でもいつか「爆弾を落としたことによって、そらー多くの人が亡くなっちゃったけれど、落とさなかったらこのまま戦争が続いたんだから、アレはオッケーっしょ」という、爆弾を落とした国と、「なんでいつも自分を正当化するんかねえ。広島見てみろよっ」と被爆を受けた国の両親を持ってしまった息子へのためにも、ちゃんと理解するべきなんだろう。
それが、非国民だなと痛感した自分への課題。
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